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自動車工業会の中にショー事務局が設置され、業界としての態勢を整えた昭和29年4月20日、待望の第1回全日本自動車ショウが日比谷公園内で開催。ショー総裁には高松宮殿下がご就任され、会長には、当時自動車工業会の弓削靖会長が兼任した。出品者の意気は盛んで254社が参加、出品車両も267台を数え、戦後最大規模のショーとして盛り上がった。
第1回ショーの展示車両のうち、乗用車はわずか17台だったことでも分かるように、当時の自動車産業の車種態勢はトラック主導型であった。ショーはこれを反映した形となり、展示車のほとんどは建設車両、トラック、バス、三輪車、オートバイなどが主役で、こうした状態は第5回ごろまで続いた。昭和29年ごろ、車は庶民にとっては“ユメのまたユメ”でしかなかった。それでも来場者は会期10日間で54万7,000人。これぞ潜在需要と業界は元気づけられ、国産車の未来に明るい希望を持つことができたのである。
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